最終更新日:2023年8月15日
どうも、おばんです。QCたかです。
赤信号で道路を横断してはいけません。
ですが、横断してはいけないルールは教わったものの、そのルールを確認したことはありません。
実際は道路交通法第7条に、信号機に従うことが義務付けられています。
でも、深夜に車も来ないし渡っちゃう?
いいかな?
いいよね?
という話です。
最後まで、見て行ってください。
標準化とは?
標準化は、単純にルール化のことです。
「色々な仕事」を「色々なヒト」が行う状況を想像してみてください。
例えばファミレスについて考えてみましょう。
ファミレスにはたくさんの美味しそうなメニューが並んでいます。
食べることが大好きなボクは、目移りして大変です。
片や厨房では、バイトに採用されたばっかりの新人くんが研修中です。
こちらもたくさんのメニューにパニックです。
早速ハンバーグの注文が入りました!
このファミレスのハンバーグは昔から人気メニューだそうですよ。
先輩「 よし、焼いてみろ!」
新人 「うぇ いきなり!?」
先輩 「そうだよ!俺もそうやって覚えたんだ!
うちには『レシピ』なんてないからよ。
俺の背中を見て覚えるんだよ!」
新人 「まじっすか!まだ背中も見せてくれないじゃないっすか!」
先輩 「つべこべうるせーな!いいから焼け!」
新人 「ひぇー涙」
先輩 「ちなみに俺のハンバーグはホントにうまい!
教えてくれた店長よりうまいね。」
新人 「まじっすか?」
先輩 「おう。だからよ、俺の背中見たって、越えられない存在が
あることを忘れるなよ。」
新人 「だから背中まだ見てないっす・・・」
新人バイトくんは、なんとかハンバークを焼き終わり、お客さんに提供しました。
女客「うまそー!」
男客「そうだね」
もぐもぐ・・・
女客「うーん、別にうまくもないなぁ。ちょっとパサついてむしろまずいかも」
男客「えぇ!?そうなの?どれどれ・・・」
女客「どうだ?」
男客「確かにそうかも。もっとおいしいお店だと思ってたのに」
女客「昔はすっごくうまかったよな?」
男客「そうそう!ここ最近、なんかおいしくないなぁ、って思ってたの」
女客「だよな。もう来るのやめようぜ」
どうやら、新人くんのハンバーグはおいしくなかったようです。
それは、確かにそうですよね。
新人くんは、先輩に焼き方を教えてもらっていませんから、先輩と同じように焼くことはできませんでした。
しかも、お客さんの話ぶりでは、先輩のハンバーグもおいしくなく、昔の方がおいしかったそうですね。
昔焼いていたのは、先輩に教えていた店長でしょうか。
店長がおいしくハンバーグを焼けていたとしても、その技術は先輩に引き継ぐことができませんでした。
そして、その技術さえも新人くんには引き継がれませんでした。
その結果、リピーターだったお客さんは離れて行ってしまったわけです。
技術が伝承されなかった理由として、『レシピ』がなかったことが挙げられます。
店長はハンバークをおいしく焼く技術を持っています。
でも、ヒトに教える技術はなかったようです。
口下手なのかもしれませんし、自身の感覚で作るヒトなのかもしれません。
調味料の量とか焼き時間、温度などデータを記録して、『レシピ』として書類にしておけば、よかったと思います。
その『レシピ』があれば、先輩や新人くんでも店長と同じハンバーグが焼けて、お客さんを失わずに済んだかもしれませんね。
例え話が長くなりましたが、標準化とは「技術の伝承」であって「誰でも」同じ結果が発揮できるようにする仕組みを作る活動のことです。
言葉の定義は下記です。
標準化 standardization
実在の問題、又は起こる可能性のある問題に関して、与えられた状況おいて最適な程度の秩序を得ることを目的として、共通に、かつ繰り返して使用するための”規定”を確立する活動(ISO/IEC Guide2)
-クォリティマネジメント用語辞典(2004年発行 吉澤正 日本規格協会)より引用
まぁ、だいたいルールブックの言葉なんて意味が分からないものです。
要約すれば、
「最高の状態をいつでも発揮できるように、その方法をルール化し、シェアしていきましょう」
でしょうか。
標準化の困りごと
標準化自身は、有意義なものです。
そして、その活動によって生まれてきたルールたちは組織にとって貴重な財産です。
財産ですから、いっぱいあった方がよいに決まっています。
でも、「いっぱいある」ということは、同時に煩雑さを生みます。
「どこに何が書いてあったっけ?」
「こっちとこっちで表現が違うけど、どっちが正しいの?」
「このルールAから、あっちのルールBを呼び出しているんだけど、ルールBにはルールAを呼んでいて、無限ループしちゃう」
また、作ったルールは、常に最新版であることが求められます。
問題があった古いルールを見直し、新しいルールに改訂(修正)しているわけですから、古いルールのままでは、また問題が起きてしまいますね。
「塩は8グラムってルールに書いてあるじゃない!」
「何言ってんだ!10グラムって書いてあるぞ!」
「やだ!そのルールはもう古いのよ!」
なんてことが起こります。
ルールが多ければ多いほど、その管理方法の正確性が求められてきます。
他にも、作ったルールは、定期的に見直すことも求められます。
時代とともに少しづつ変わらなければいけないことはないか?
今の実態にあっているのか?
例えば、コストダウンでラップのメーカーを変えたことがあったとします。
「先輩、サララーンラップが欲しいんですけど、どこにも置いてないです」
「そんなのもうないよ。いまはラップクレーイだぞ」
「えっ、ルールにはサララーンラップを使え、って書いてありますよ?」
このようなこともありますよね。
だから、ルールは定期的に見直す必要があるのです。
ですが、定期的に見直そう!と決めたものの、ルールが大量にあれば、見直すだけでも一苦労。
みんな日々忙しいですから、ルールを見直す時間は後回し。
そのままズルズルと見直せずじまい、なんてこともよくあります。
ですから、ルールを作る活動はよいものの、維持していく活動というのは、ホント難しいと感じます。ルールの数が多くなればなるほどに。
”もっと” 標準化の困りごと
QCたか的には、実はもっと困った問題があると考えています。
それは、ルールの「ポリシー」がバラバラになっていくことです。
ルールは、基本的には文書化されます。
組織においては、文書化された文書の扱いについて、ヒエラルキー型の管理体制を取るのが一般的です。
それを文書体系と呼んでいます。
文書体系の上位には、「規定」というような会社の根幹となる文書を位置付けます。
例えば、ISO9001に準拠した「品質マニュアル」が「規定」にあたります。
会社の「法律」に近いです。
中層には「業務要領」というような業務の基準となる文書を位置付けます。
イメージですと「教科書」が近いでしょうか。
例えば、いったん下記を想像しておいてもらえますか?
- ハンバーグはフライパンで5分焼くこと。
- 200℃に余熱したオーブンに入れ、10分焼くこと。
- 加熱した鉄皿に乗せ、提供する。
そして、下層には、「作業標準」という作業の詳細を決めた文書が配置されます。
イメージは、「参考書」でしょうか。
これも例えると、
- フライパンに油を馴染ませておく。
- 手のひらをかざして、十分熱くなっていることを確認する。
- ハンバーグをフライパンの中央に静かに置く。
- 3分経ち、表面が茶色になったら、フライ返しでひっくり返す。
- 2分経ち、裏面も茶色になっていることを確認する。
- フライパンを持ち、オーブンに入れる。【注意!】フライパンは熱いから、ミトンを必ず付けること。
などなど
「業務要領」は、「ハンバーグを焼いてから提供するまで」といった、業務全体の流れを示す文書であり、「作業標準」は、「フライパンでの焼き方」や「オーブンでの焼き方」など、業務の一部を詳細にまとめた文書、というイメージがちょうどよいと思います。
この文書体系はよく、下のような図で表現されるので、覚えておくとよいでしょう。
下層の「作業標準」は、作業者/部門が「業務要領」の拘束下で作業しやすいように改訂することは自由にしてよいと思います。
もちろん、文書を改訂するルールを順守することが前提になりますが。
次に「規定」についてですが、ISOの要求や法律などが絡むため、そう頻繁に変わるものでもありません。
変わるとしたら、ISOの要求が変わったりするタイミングですが、その時は大仕事です。
定期的に変えないでほしい、と思いますが、そうもいかないでしょう。
最後に「業務要領」の変更ですが、ここに問題が含まれていると思っています。
「業務要領」は業務の基準になります。
ですから、ちょっとやそっとで変えることは難しい文書です。
それを変えるには、十分に検討したり、多くのレビュアーから意見をもらいながら、変更する必要があります。
とは言え、変えてはいけない文書ではありませんから、手間とは言え、十分に検討を行えば良い訳で、レビュアーを納得させられれば、良いのです。
裏を返せば、レビュアーさえ納得させられれば、見せかけの検討でも、変えてしまうことができてしまうのです。
レビュアーは、ヒトがやるものです。
ヒトは、どうしても感情や感傷、雰囲気、情勢に流されます。
変更したいヒトとレビュアーの付き合い方にもよるでしょう。
ヒト付き合いがうまく、口が上手で、それっぽく資料を作れるヒトであれば、「自分のポリシー」を優先したルールを提案し、ゴリ推しで通すことは、難なくやってしまうものです。
その結果、周りのルールと「なんか違う」「ベクトルが違う」「考え方が違う」ルールができてしまう危険性があるわけです。
このようなルールが散見され始めると、それに基づき、実際に作業するヒトたちに迷いが生まれてきます。
このルールを信じればよいのか?こっちのルールが正しいのか?
その迷いは、重大な不適合を発生させるなど、取り返しのつかない事態を引き起こす可能性を含んでいます。
これはルールを作ったヒト、そしてレビュアーが悪いのであって、決して作業者が悪いわけではありません。
ルールを作るヒトたちは、作業者を迷わせ、迷惑をかけてはいけない。
それぐらい、ルールを作る作業は責任のある仕事なのですが、その責任よりも「自分のポリシー」を優先してしまうヒトがいることも事実です。
「名ハッカーは、プログラムに自分の履歴を残したがる」のと一緒で、自分の存在をルールに残したがるのです。
それを「承認欲求」と呼びますね。
犬の「マーキング」と一緒ですよ。
では、この問題に対する解決策はないのでしょうか?
マネジメントポリシー×自己実現×匿名
QCたかが懸念する標準化ポリシーのばらつきは、下記で解決できるものと考えます。
標準化ポリシー=マネジメントポリシー×自己実現×匿名
まず、「マネジメントポリシー」についてです。
「マネジメントポリシー」は会社方針を示します。
会社自身の方針ですから、創業者の想いがこもっています。
わたしの会社は、このような未来に貢献したい!
その思いは素敵なものだと思いますし、揺るぎないものです。
課長、部長、社長が変わろうが、変わってはいけない部分です。
ですから、この会社がどこを目指しているのか、しっかり把握をしたうえで、ルールを作っていく、ということが重要になります。
ここが、最大のポイントです。
次に「自己実現」についてです。
心理学者にマズロー・H・アブラハムという方がいました。
18世紀の心理学者でアメリカ人です。
人間の「自己実現」を研究した方で、「人間の欲求の階層」はあまりにも有名です。
人間の欲求を、ヒエラルキー型の階層に分けられる図をよく見ると思います。
ヒエラルキー型の欲求 |
このマズローの欲求の階層は「下層が満足されないと上層には行けない」と定義されています。
つまり、整理の欲求(おなかがすいたなぁ)が解消されない限り、安全の欲求(安全な場所であったかく眠りたい)が出てこない、というものです。
この欲求の階層のうち、上から2段目に「承認欲求」があります。そして、その上に「自己実現」が鎮座しています。
周りから認められたい!という欲求が満足されない限り、自分自身の夢や目標にチャレンジしていけない、ということですね。
そして、この「自己実現」のフェーズになったとき、自分の夢や目標にチャレンジしている行動自体が「他人にとっても良い行動」になっている、ということが驚きです。
例えば、QCたかは、品質管理1級に合格しました。そのことで周囲から称賛を受けています。
これは「承認欲求」が満足している状態です。
そして「品質管理のプロ」を目指し、勉強で得た知識を誰かに伝えたい!という「自己実現」の欲求が、職場では他社員への教育を行い、プライベートではブログ書くことで満足を得ているわけです。
教育は、社員の知識になればよいですし、このブログも世界中の誰かひとりでも喜んでもらえればよいわけです。
このように「自己実現」の行動は、「他人にとっても良い行動」つまり「利他的な行動」となるわけです。
標準化ポリシーにおいては、この「利他的な行動」ができる人物が最適だ、とボクは考えるわけです。
利他的なヒトは、自分本位でルールを考えない。
会社のポリシーや、ルールを使用するヒトたちに思いをはせ、最適な答えを探し出してくれるはずです。
いつまでも「承認欲求」を追い求めているヒトは「自己実現」のフェーズには入れない。
つまり「利他的に行動ができない」。
結果、ポリシーがぶれる、となります。
最後に「匿名」についてです。
ルールを使うヒトたちは、「誰がルールを作ったか」を知る必要がない、ということです。
ルールを使うヒトたちは、ルールを作ったヒトの名前を見ると
「あー、あいつね。こういうの好きだからなぁ」とか
「こんなルール勝手に作ってよー。やってられないぜ」とか
「あいつに一発ガツンといってやるよ!」とか
必ず、批判的な意見を言うヒトが出てきます。
社会的な組織ですから、いろいろなヒトがいてよいですし、いろいろな意見があって当然だと思います。
ですが、欲求の階層が下段側にいるヒトたちに、他人のために苦労を苦労とも思わない「自己実現者」を批判されたくはありません。
その「自己実現者」を守るために、ルール作成者は「匿名」にするべきと考えています。
そして、実運用として、ルールの作成は一人ではできないので、複数名のチームを作り、「標準作成・改訂委員会」のような名称で活動することになります。
もちろん、チームメンバーは、みなマネジメントポリシーを理解した自己実現者で構成され、周りからは匿名です。
また、メンバーはいろいろな部署から集められることが希望です。
大抵、いろいろな部署から集まると、自部門を守るため、意見が割れることもあるでしょうが、集まるメンバーは、自部門を守ること以上にマネジメントポリシーを守ることに意識が向いていますので、討議の中で、最適な解を見つけてくれるはずです。
揺るぎのない標準を目指せ!
作業標準やルールを守ることは、当たり前として教育されましたし、勉強をしてきました。
交通ルールを守ることも、両親や学校から教わってきました。
赤信号を横断してよいはずがありません。
赤信号をみんなで渡れば、その一瞬は怖くないですが、日本中のみんなが日常的に渡り始めたら、社会の交通は完全にストップします。
「変えてよいこと」と「変えてはいけないこと」があります。
「変えてはいけないこと」を変えるのであれば、
- マネジメントポリシーに合致しているか
- 使うヒトにとって、有益であるか
をしっかり精査していく、人材と体制が必要です。
ぶれないベクトルとぶれない人材が合わさったときに、初めて揺るぎない標準が完成するものだと思います。
自分自身の力では解決できない問題ですが、自分自身がルールを作成・変更する機会が訪れた際は、こんなブログがあったことを思い出して頂ければと思います。
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